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​創刊の辞

 

​ 元来、文字とは支配階級が利用し、戯れてきた高級な玩具であった。庶民達は、文字など書けずとも、読めずとも、なにかを感じ、考え、触れ、生きてきたのである。

 

 昨今、人々が活字を読まなくなり、固い文章や長い文章を嫌厭するようになったと言われる。しかし、文字というものの本来の成り立ちを考えれば、むしろ、人々の多くが活字を愛し、利用していた時代こそ例外であり、奇跡的な愛すべき古き良き時代であったのではないか。

 

 その時代が過ぎ去り、嵐のような情報化の時代にあって、長く、固い活字に一体何が出来うるだろうか。

 

 われわれは、何もない、と答える。今や、文字とは一部の諸個人の内部にのみ存在しうるものとなり、世界を流れ転がりゆく言葉とは皮相でしかない。そして、もはや前時代的な活字には、皮相としての言葉に対抗しうるだけの力も、価値もない。

 

 しかし、それでよいのだ。社会的能力や価値になどよすがを求めてはならない。あえて、なにもないところ、誰にも顧みられないところ、そんな場所からわれわれは出発する。

 

あなたは、どうする?

回る回る、あなたは回る

回る回る、私も回る

回る回る、地球も回る

宇宙も回る、時も回る、金も回る

魂も回り、命も回る

太陽が回り、月が回る

すると暦が回り、日付が回る

すべて回り続ける円環の輪にして、

しかも元の位置になし

 

現世と冥土の円環も回り続け

現実と夢の円環も回る

黒と白は回り、赤と青も回る

風車とダムは回り、タービンも回る

風は世界を回り、水も大地を回る

砂漠と森が回り、山と洞穴も回る

犬も回る、鼠も回る

糞も回り、涙も回る

意味が回りゆけば無意味と転ずる

 

我らは回り続ける巡礼者

押し黙って道を回る悔恨者

懺悔の告白を引きずる回り者

 

風に逢いては道を回り

浮浪者に逢いては夢を回る

清水を飲みては体に回り

濁酒を飲みては毒が回る

 

それゆえ、言葉も回る

回る回る、言葉が回る

意味の遠心から回り飛ばされた言葉が

無意味の遠心に回り回って帰着する

回る回る、言葉は回る

中身を持たず、言葉が回る

くるくるくるとどこまでも

言葉の滑車が回る

回る回る、どこまでも

意味を持たず、言葉は回る

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